2011年04月14日
「東日本大震災」被災地をゆく
震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
また、被害に遭われたすべての方々にお見舞い申し上げます。
4月2日。
いてもたってもいられず、大量の救援物資と満タンのガソリン携行缶を積込み現地へ。東北自動車道もダメージを受けており、かなりデコボコしていました。
妻の実家が二重の巨大防潮堤で有名な岩手県宮古市田老。
小さな町のためあまり報道はされてませんが甚大な被害を受けました。
堤防の海側(写真の右側)は瓦礫すらなく荒野と化してしまいました。
一方、堤防の山側は瓦礫の山でした。海から山まで1kmもない町に押し寄せてきた15mの津波。多くの方がその恐怖を目の当たりにされたのです。
自衛隊・消防・警察による必死の救助活動が続きます。不明者のほとんどが引き波で海へと流されてしまったとのことでした。
捜索の中で自衛隊員が掘り起こしてきたアルバムなど。
持ち主が無事であることを願います。
妻の実家は避難所になっている「グリーンピア三陸みやこ」に近い高台のため津波の被害は受けませんでした。
有志の方々から託された救援物資を無事届けることができました、700人を超す被災者たちは慣れない非難所暮らしで皆疲れ果てた様子。グラウンドに仮設住宅が建ち始めていました。
しかし、兼業漁師である義父が使う小掘内漁港では今回の震災による津波の遡上、37.9mを記録。9名の死者・行方不明者が出てしまいました。
1個10tもある巨大テトラが10mの堤防を越え波と共に降り注ぎ、岩は削られ、木々は根こそぎもぎ取りながら、津波はビルの12階に相当する高さまで遡上していったそうです。
4月2、3日と捜索に参加しましたが、妻の伯父も含め行方不明者の発見には至りませんでした。
また、4月末に現地に入ります。少しでも自分のできることをしてきたいと思います。
また、被害に遭われたすべての方々にお見舞い申し上げます。
4月2日。
いてもたってもいられず、大量の救援物資と満タンのガソリン携行缶を積込み現地へ。東北自動車道もダメージを受けており、かなりデコボコしていました。
妻の実家が二重の巨大防潮堤で有名な岩手県宮古市田老。
小さな町のためあまり報道はされてませんが甚大な被害を受けました。
堤防の海側(写真の右側)は瓦礫すらなく荒野と化してしまいました。
一方、堤防の山側は瓦礫の山でした。海から山まで1kmもない町に押し寄せてきた15mの津波。多くの方がその恐怖を目の当たりにされたのです。
自衛隊・消防・警察による必死の救助活動が続きます。不明者のほとんどが引き波で海へと流されてしまったとのことでした。
捜索の中で自衛隊員が掘り起こしてきたアルバムなど。
持ち主が無事であることを願います。
妻の実家は避難所になっている「グリーンピア三陸みやこ」に近い高台のため津波の被害は受けませんでした。
有志の方々から託された救援物資を無事届けることができました、700人を超す被災者たちは慣れない非難所暮らしで皆疲れ果てた様子。グラウンドに仮設住宅が建ち始めていました。
しかし、兼業漁師である義父が使う小掘内漁港では今回の震災による津波の遡上、37.9mを記録。9名の死者・行方不明者が出てしまいました。
1個10tもある巨大テトラが10mの堤防を越え波と共に降り注ぎ、岩は削られ、木々は根こそぎもぎ取りながら、津波はビルの12階に相当する高さまで遡上していったそうです。
4月2、3日と捜索に参加しましたが、妻の伯父も含め行方不明者の発見には至りませんでした。
また、4月末に現地に入ります。少しでも自分のできることをしてきたいと思います。
(ゆかいなかぞく)
Posted by かなた税理士法人 at 14:02│Comments(1)
│その他
この記事へのコメント
4月24日に名取市に日本一のBBQを持ち込みます。
被災者に喜んでもらえますように。
被災者に喜んでもらえますように。
Posted by ヒサ at 2011年04月17日 23:10